スニゲーター 可愛い男性
今日に限って夫が帰ってこない。私は目の前のテーブルに並んだ夫の大好物を眺めてため息をついた。
時刻はもう少しで午後十時を回る。いつもなら八時前に帰ってくるのに、よっぽど指導に熱が入っているのかしら。
お腹もぺこぺこだし先にいただこうかとフォークを握ったところで玄関のドアが開く音が聞こえた。
「すまん、遅くなった!」
「おかえりなさい」
走ってきたんだろう。ようやく帰ってきた夫──スニゲーターはその肌を汗でしっとりと湿らせていた。
彼が手を洗っている間にフォークを置いて席を立ち、タンスの引き出しからフェイスタオルを出してリビングに戻ってきたてスニゲーターに渡す。
「ありがとう」
「どういたしまして」
しっかりお礼を言うスニゲーターは、ピンク色の花がプリントされた白地のタオルに顔を埋めていてとても可愛い。
汗を拭き終わり、食卓へ顔を向けた彼は、驚きからいつもの鋭い瞳を丸くした。
「やけに豪華だな」
「ちょっと張り切っちゃった。温め直そうか?」
「いや……このままでいい。お前の料理は冷めても美味い」
タオルをテーブルに置いて席に着いたスニゲーターは、かなりお腹が空いているみたいで既にフォークを握っている。
私も席に着き、二人で「いただきます」と挨拶をしてから食事に手をつけた。
スニゲーターは大きく裂けた口から零すことなく、器用に咀嚼して次々とお皿を空にしていく。
「嗚呼、やっぱりお前の料理はどれも美味いな」
「ありがとう。でも、そんなに褒めてもこの間のスニーカーは駄目だからね」
「…………そういうつもりじゃねぇ」
先日、新発売のスニーカーがいかに素晴らしいか熱弁してきたことを思い出して釘を刺すと、スニゲーターはムッとした顔で否定した。その割にはかなり間が空いていたし、心なしかしょんぼりと肩を落としているように見える。あの子たちからは鬼教官として恐れられているかもしれないけれど、家では……というより私の前では、こんなにも可愛いのだ。
食事を終え、お風呂のお湯を張りながら食器を洗う。手を動かしながら肩越しにスニゲーターを見ると、綺麗な姿勢でソファーに座り、スニーカーのカタログを熱心に眺めていた。そのいつも通りの光景に笑みを零し、洗い物を終わらせる。
「ねぇ、今日は一緒にお風呂入らない?」
「は!?……悪いが今日は疲れているから一人で入りたい」
「そっかぁ、残念」
そういえば食事中の会話で、帰ろうとしたらステカセくんとスプリングくんが技を見て欲しいと声をかけてきたから熱が入ってしまったと言ってたっけ。いつもより長く鞭を振るっただろうし、連日の疲れも溜まっているのかもしれない。
「じゃぁ、先にお風呂入るね」
「あぁ」
再びカタログに目を落とすスニゲーターを置いて、今日のために卸した下着類を持って浴室へ向かった。
◇ ◇ ◇
入浴を終えてベッドに潜り、スニゲーターが立てる水音を聞きながらうとうとと微睡む。
三年前の今日、私はスニゲーターと結婚した。つまり結婚記念日だったんだけどスニゲーターは覚えていないみたい。まぁ、私も覚えていたらいいなってくらいだから、そんなに気にはしていない。
もともと彼の熱心に指導をする姿に惹かれたのだ。今日も食事中にステカセくんやスプリングくんのことを嬉しそうに話していて、なんだか私まで嬉しくなったから結婚記念日を忘れられても構わなかった。
語呂合わせでもなんでもない日付だし、仕事が忙しかったら忘れちゃうよね。でも、せめて日付が変わる前にスニゲーターの独特な体温を近くで感じたい。
そんな私の気持ちが通じたのか、入浴を終えたスニゲーターがベッドに潜りこんできて抱き寄せられる。
「すにげーた……」
眠たくて重たい瞼は閉じたまま、手を動かして皮膚の表面を覆う鱗や尖った爪先を撫でていると更に強く抱きしめられた。
「すまん……今日は結婚記念日だったな」
「思い出してくれたんだ……ふふ、スニゲーターが結婚記念日って言ってる」
「去年も一昨年も言っただろ」
「そうだっけ……」
スニゲーターの口から出た“結婚記念日”が面白くてくすくす笑いが止まらない。
それが気に食わなかったのか、スニゲーターは私の耳元で舌打ちを零し、パジャマの中に手を突っ込んできた。
「ひゃっ!」
てっきり腹か胸を撫でられるのかと思いきや、ぺっとりした質感で弾力のあるホースのようなものが瞬時に体に絡みついてきて、びっくりして瞼を開けてしまう。
しばらく閉じていたからぼやける視界。何度かぱちぱちと瞬きをしてクリアになると、パジャマの胸元から蛇の姿になったスニゲーターが顔を覗かせているのが見えた。ご丁寧にナイトブラにまで潜り込んで、細くなった体を胸の谷間に納めている。
スニゲーターは鎌首をゆらゆらさせ、先割れの舌をちろちろと見せつけてきた。
「美味い飯に可愛い下着……本当に自慢の妻だ」
「ありがとう。あなたも自慢の夫よ。ところで、どうして蛇の姿なの?」
「お前はこの姿が一番悦ぶだろう」
「馬鹿。変態」
「誰が馬鹿で変態だ! オレはお前に満足してもらいたいだけだ」
そう言うとスニゲーターは目を細めて私の頬に頭を擦りつける。まるで人懐っこくて飼い主のことが大好きなペットみたい。
私もスニゲーターのいつもより小さい頭を撫でて、尖った口先に唇を寄せる。
「鬼教官のご指導が楽しみね」
「ばっ……! 業務に絡めるな!!」
今後“鬼教官”を耳にしたら今夜のことを思い出すからだろう。先ほどまでの余裕なんて一瞬でどこかに吹っ飛んだみたいで、スニゲーターはきょどきょどと頭を動かしている。こんな姿、あの子たちが見たら目を疑うでしょうね。
せわしなく動き回る蛇の頭を手で押さえて再び口づけると、落ち着いたのかスニゲーターは先割れの舌でぺろりと舐めてくる。嬉しかったのかおまけにぎゅぅと私を絞めつけるものだから思わず笑ってしまった。
本当に可愛い男性。そんな姿、私以外に見せないでね。
加筆修正:2024.09.10