ゴールドマン MALUS

 日課となっているシルバーとの組手の最中で名を呼ばれ、深々とため息をつく。

「ゴールド! シルバー! 今日も頑張ってるね!!」

 緊張感の欠片もない女の声にやる気が削がれて手を下ろす。それは弟も同じだったようで、こちらに突き出した手を宙に浮かせたまま、困ったように笑っていた。
 非難の意を含めた視線を女へ向けると得体のしれない果物を頬張っていた。目が合った途端、女は左手に持っていた二つの果物を差し出してくる。

「二人も食べる?」
「いらん」
「私も……お腹が空いていなくてね」
「ふぅん……食べたくなったら言ってね。また採ってくるから」

 そう言った女は私たちが拒絶した果物を口に含んで「舌が痺れる~」などとほざく。誰が食うか。

「おまえも鍛えたらどうだ」
「うーん……鍛えなくても二人が助けてくれるし……」
「助けた覚えはないが」
「え~!? おっかしいなぁ……」

 石の上に座り、もごもご口を動かしている女を見下ろし、初めて出会った時のことを思い出す。
 激化する超人同士の争いが続く日々。私も一人の超人と対峙していた。間合いをはかって睨み合うのにも飽きて、お互い技を繰り出そうと距離を詰めたちょうどその中間に、こいつが転がってきたのだ。本人曰く、他の超人から逃げていたらしいが――私が戦っていた相手にも襲われると勝手に勘違いをし、そして私が勝利したことで助けられたと思い込んでいる。
 それ以来、こうして私たちの元に通っては自己研鑽することもなく、いつも何かを食いながら過ごしているのだった。

「何故、おまえのようなやつが今まで生きてこられた」
「ね! 不思議!」
「…………」

 頭が痛い。おい、やめろシルバー。そんな生暖かい温かい目で私を見るな。

◇ ◇ ◇

 戦っては生き延び、また鍛える――そんな日々を繰り返してきたが、それも明日で終わりだ。
 せめてあいつに別れの挨拶をしてやろうといつもの場所で佇んでいたら、いつもどおり両手に果物を持ってやってきた。

「あれっ? 今日はシルバーいないの?」
「あぁ」
「……私は付き合えないからね!」
「はたからそんなことは期待していないから安心しろ。今日は別れを告げに来た」
「え?」
「もう明日からおまえとは会えない」

 言葉の意味がすぐには飲み込めなかったのだろう。しばらくの間、ぽかんと口を開けて私を見つめたのち、ぐしゃりと顔を歪ませた。

「なんで……どうしてそんな悲しいことを言うの? 会えないなんて寂しいよ」
「事実を伝えただけだ」
「……どうせ嘘でしょ。本当ならコレ、受け取って」

 すっと差し出されたのは、初めて見る真っ赤な果物だった。今まで女から果物を受け取ったことはなかったが、今日はためらわずにそれを手に取る。途端、女は更に顔を歪ませ、瞳に涙を浮かべた。しかし、すぐに頬を引き攣らせて不細工な笑顔を見せた。

「今朝見つけたばかりで、甘酸っぱくて美味しいからシルバーと食べてね」
「……気が向いたらな」

 手の中の果物を一瞥し、女へは目もくれずに背中を向ける。もう別れの挨拶は済ませたから、これ以上ここに留まる理由はない。シルバーのところへ戻ろう。
 そう思い、歩き出した私の背に今まで聞いたことのない大声が降りかかる。

「今日、ここで寝ようかな! だから、また明日ね!」

 もう会えないと言っているのに聞き分けのないやつだな。呆れて振り返ると先ほどまでの泣き出しそうな顔から一転、いつもの何が楽しいのかと問いたくなるような笑顔があった。



 女と別れ、しばらく歩く。明日にはこの生まれ育った星を出る。
 私は、ぐっと手に力を入れて赤い塊を握り潰し、近くを流れる川に投げ捨てた。

◇ ◇ ◇

 元・神だと自称する男に選別された超人たちとともに透明な箱に入り、遠くなっていく故郷を見つめる。
 あの女は来るはずのない私とシルバーを待っているのだろうか。
 そんなことをぼんやりと考えていると突然、彼方から放たれた光線に星が照射され始めた。

「あれは……?」
「あれはカピラリア七光線だ。浴びた超人は死に絶えるが、この中に居るおまえたちに害はない」
「……では、私たち以外の超人は――」

 シルバーの言葉にズンと腹のあたりが重たくなる。
 選ばれなかった超人が死ぬなんて知らなかった。私たちは新天地でより一層の研鑽を積み、故郷の星を含めた世の秩序を守るのだと――そう思っていた。

『また明日ね!』

 絶叫にも近い大声を出し、私を見て笑っていた女の姿が頭に浮かぶ。
 照射され続ける光線から目を背けず、せめて彼女が痛みも苦しみも感じることなく安らかに逝けるよう願った。

◇ ◇ ◇

 あれからシルバーたちと袂を分かった私は、悪魔超人の礎を築いた。
 悠久にも思える長い年月の間、子を成し、種を存続させていく超人たちを見ていると、時折あの女のことを思い出した。
 慕情といった感情は持ち得ていないが、私が番うのなら彼女しかいないと漠然と思うのだ。
 今世の果物を用いた菓子を頬張る姿も、些細なことで拗ねる姿も、私の隣で幸福に満ちて眠る姿も、生まれた子に乳を与える姿も――何もかも想像に容易い。
 そのような姿は一度も目にしていないにも関わらず、だ。

 卓に置かれた真っ赤な果物を手に取る。あの日、女から受け取ったものと似ているそれは“林檎”という名がつけられていた。
 時代も星も違うのに、あの時の果物はここにあり、彼女はここにいない。
 ミシミシと果肉に指をめり込ませ、ぐしゃりと握り潰せば、ぽたぽたと滴る透明な果汁が床を汚した。拳の中の潰れた果肉も後を追わせるように小さな水溜まりに落とす。

 本当にあいつは、数億年経っても私にまとわりついてくる忌々しい女だ。

60巻読んだ時点で書いたので設定に矛盾あったらすみません。

初投稿日:2024.08.06
加筆修正:2024.09.10