ガゼルマン 君の作ったお弁当が食べたい

「お弁当が食べたい」

 ヘラクレスファクトリーの食堂でガゼルマンがぽつりと呟く。向かいで昼食を摂っていたニアラは、突拍子もない発言に驚き、口の中のものを急いで飲み込んだ。 

「なんでお弁当がいいの?」

 ニアラが水を飲みながらガゼルマンに尋ねる。すると、彼はよくぞ尋ねてくれましたとばかりに瞳を輝かせた。

「女の子の作ったお弁当食べたくないか?」
「いや同性だし……このご飯もおばちゃんたちが作ってくれてるし……」
「オレは食いたいんだよ!」

 ガッと食いついてくるガゼルマンを半眼で見やり、ニアラは小さく溜息をつく。あのスケベな万太郎に感化されつつあるのか、ニアラに気を許しているのか、最近のガゼルマンは時折変なことを言うようになった。
 それにしても、なぜこのタイミングで言うのだろう。
 なんだか面倒な予感がしてニアラは眉間に皺を刻む。そんなニアラにチラッチラッと視線を送りつつ、ガゼルマンは口を開いた。

「女の子が一生懸命作ったってだけでなんか価値があるんだよなぁ」

 だから頼むとでも言いたげなガゼルマンに見つめられ、ウゲッと苦虫を噛み潰したようにニアラの顔が歪む。
 ヘラクレスファクトリーに来た当初の真面目でキザなガゼルマンはどこかへ消えてしまったようだ。
 ニアラはシルバーのトレーに転がるミニトマトをフォークでつついた。

◇ ◇ ◇

 翌日、午前中の訓練を終えたガゼルマンは食堂へ向かっていた。散々アピールしたにも関わらず、ニアラから弁当をもらえなかった彼の肩はすっかり下がっている。

(食べたい……女の子のっていうかニアラの作ったお弁当……)

 はぁぁ、と口から重々しい溜息を漏らし、ガゼルマンは足を引きずるようにして歩く。ニアラお手製の弁当が食べられると思い込んで張り切ったガゼルマンは、与えられた課題に率先して取り組んだし、模擬戦での技のかかり具合も過去最高のものだった。しかし、ニアラが弁当片手に現れることはなかった。
 絶望に打ちひしがれても腹は減る。ガゼルマンは悲鳴を上げる腹を擦り、渋々食堂へ向かっていた。
 背中を丸めてトボトボと歩き、いつもより長い時間をかけて食堂へ辿り着く。うなだれ、少し先の地面を見ていた彼の瞳は、食堂の出入り口で佇んでいる二本の脚を捉えた。

「……!」

 見慣れた女性用のブーツにハッとしてガゼルマンが顔を上げると、食堂の入り口にニアラが立っており、その手には弁当らしき包みが二つあった。

ニアラ、それって……」
「あ、ガゼル……おべんと、作ったよ」

 あんたずっとねちねち言いそうだから──と続けるニアラの言葉も聞こえておらず、ガゼルマンは嬉しさの余り彼女に抱きついた。

◇ ◇ ◇

「どんなお弁当なのか楽しみだ」
「期待しないでね」

 ヘラクレスファクトリーの中庭にあるベンチに座った二人。それぞれの膝には、弁当箱が一つずつ置かれている。
 ニアラに殴打されて鼻血を出したガゼルマンは、ティッシュを鼻に詰めてヘラヘラと笑う。心底嬉しそうな締まりのない笑顔だ。一方でニアラの表情は強張っている。ここへ来る前に料理は気が向いた時にしていたが、親をはじめ他人に食べさせたことがない。味に自信もないし、弁当に入ってそうなおかずを詰めたのだがガゼルマンの好物でなかったらどうしよう、と不安になってしまう。
 そんなニアラの不安を吹き飛ばすように、弁当を開けたガゼルマンは顔を輝かせた。

「すげぇうまそう!」

 食べ盛りのガゼルマンでも満足できそうな大きなおむすびが三つ。鶏の唐揚げに卵焼き、野菜の煮物、ポテトサラダ、ミニトマトにブロッコリーにフルーツ。小さなうずらの卵も隙間を埋めるように詰められている。ありきたりな普通の弁当だが、ガゼルマンにとってはどんな高級料理よりも価値のある物だ。
 ガゼルマンはプラスチックのフォークをうずらの卵に刺し、ぽいっと口の中に入れた。

「おぉ、卵の味がする!」
「そりゃそうでしょ」
「この煮物も味がしっかり染みているな!」
「それはおばちゃんが作ってたやつだよ。今朝も食べたでしょ」
「……唐揚げも生姜とにんにくが効いていて美味い」
「それは……私が揚げたやつ。ありがと」

 なにか食べる度に騒ぐガゼルマンに、ニアラは目元を和らげた。おばちゃんが作ったものや素材そのままのものが多いが、誰かのために初めて作った弁当が喜ばれて嬉しい。昨晩どんなお弁当にしようか頭をひねり、今朝調理場の片隅を借りて唐揚げや卵焼きを作った甲斐があった。
 ガゼルマンは、隣で同じように弁当をつつくニアラに笑いかけた。

ニアラは料理上手だから、いいお嫁さんになれるな」
「……馬鹿ね。料理上手くらいで結婚できるわけないじゃん」
「なれるだろう」
「誰がもらってくれるっていうのよ。私より強い人じゃないとイヤ」

 ヘラクレスファクトリーに来てからそこらの男よりも強いとニアラは自負していた。ウィークポイントである筋力の弱さをスピードや関節技の精度、状況判断力でカバーしていて、強引に力で戦おうとする男たちを模擬戦でノックアウトし続けている。それにここへ入学したからには悪行超人を倒すための特訓に専念しなければならない──そう思い、ひたすらに技を磨くニアラは、まだ恋をしたことがなかった。超人ゆえのプライドからか、自分より弱い男とは結婚したくないという漠然とした思いも恋愛に踏み出せない枷となっているのだが、ニアラ自身はそのことに気づいていなかった。
 友人たちの恋バナの輪に入ることが出来ず、そんな自分が幼く思えてなんだか悔しい。むすっとした表情になったニアラの横顔を見つめ、ガゼルマンはニッと笑うと──

 オレがもらうに決まっているだろう?

「オレはニアラより強いからな」
「んなっ……ななッ、なに言ってんの?!」
(顔真っ赤……かわいい……)

 ガゼルマンの言葉を聞いた瞬間、頬を真っ赤にして挙動不審になるニアラ。彼女の様子に少なくとも嫌われていないと分かったガゼルマンは、ゆるゆると口角を上げた。