カナディアンマン Good night

 息子が眠ったことを確認して夫婦の寝室へ入ると、ベッドに寝そべっている夫と目が合う。

「起きてたの」
「待ってたんだよ」

 夫——カナディの隣に体を横たえるとすぐさま腕が伸びてきてぎゅぅと抱きしめられた。

「なぁ、最近シてねぇよな」
「ん~……今夜は、ダメ……」
「この間も同じこと言ってただろ? いつならいいんだよ」

 抱きしめられているから表情はわからないけど、拗ねたような口調だから不服そうな顔をしているのだろう。なんて答えたら角が立たないかなぁ。
 そんなことを考えながら彼の匂いをスンスンと嗅いでいると落ち着いてきて、瞼が重たくなっていく。

「なぁ、いいだろ?」
「んー……だって、あなた絶倫だし遅漏で最悪……」
「うっ……いっ、いや、オレだけじゃなくて、超人はみんなそうだって」
「そんなこと、ない……」

 カナディとビッグ・ボンバーズを結成しているスペシャルマンは“普通”だって奥さんが言ってたもの。

「明日も早いから……ね?」
「……ヤダ」
「もう、子どもじゃないんだから」

 このままでは埒が明かないと判断したのか、カナディの手がパジャマの中に侵入してきて私の腰やお尻を下着の上から撫で始めた。これ以上好き勝手にさせて火が点いたら止めることが難しくなってしまう。一刻も早く彼から離れなくては。
 そう思って後ろへ退こうとしたけれど百万パワーの力持ちの腕は強固で、私の逃亡を許さない。

「オレの甘くて可愛いメープルシロップちゃん。久しぶりに味見したいなぁ~」

 カナディは、二十代の青臭かったころのあだ名で私を呼び、ちゅっちゅっと額や頬に口付けを落としてくる。もう、本当にこの人は一児の父になっても変わらないんだから。男の人ってみんなこうなのかしら。挙句の果てに「サラサラのシロップをオレにかけてびしょびしょにしてくれ!」なんて下品極まりないことをのたまう。勘弁してよ。
 私はカナディの白い頬に手を当てて、彼が更なる下ネタを口にする前に自分の唇でそれを塞ぐ。
 まさか私がキスをするなんて予想外だったみたいで、ビクッと体を揺らすカナディが可愛い。でも、さすがリングで戦っているだけのことはあって、すぐに状況を飲み込んだカナディはされるがままではなく、唇を押し返してきた。
 私の唇を割って、カナディの舌がぬるりと侵入してくる。舌と舌が触れて絡め取られ、今度は私の体がビクンと揺れた。そういえば息子が生まれてからはバードキスばかりで、こんな男女の関係を思わせるようなフレンチキスはしていなかった気がする。
 息苦しくなってぽんぽんと軽くカナディの肩を叩くと、ちゅっとリップ音を立てて名残惜しそうに唇が離れた。私たちは乱れた呼吸を整えるために何度か深呼吸を繰り返す。

「……なぁ、シていいってことか?」

 先に呼吸を落ち着かせたカナディが、じっと瞳を覗き込んでくる。まるで試合中のような真剣な眼差しに射抜かれ、眠かったはずの目は覚めてしまい、胸の鼓動はドキドキと速まった。どうしよう。ここ数年カナディのことは一緒に子育てをする“父親”として見ていたのに、今の私は彼と付き合ったばかりのころののぼせ上がった気持ちでいっぱいだ。
 カナディのことはもちろん交際当初から愛し続けている。恋人から夫婦へ、そして子どもが生まれて親になってと関係が変わっていったように、相手に対する愛情だって少しずつ意味合いが変わり、落ち着いていくのだと——そう思っていた。しかし、それは私だけでカナディは違っていたのだろう。
 昔から変わらない彼は、きっと今も私を一人の女性として愛している。そう思うと私の気持ちもカナディにつられて若返り、家事や育児の疲れはどこかへ消え去って新婚時代の二人だけの夜を過ごしたい欲が芽生えた。“待て”を申しつけられた犬みたいに私の返事を辛抱強く待っているカナディを見つめ返したのち、自ら体を差し出すように目の前の筋肉質な体に抱きつく。

「そういう気分になっちゃった」
「…………マジ!?」
「ちょっと、声が大きいよ。起きちゃうでしょ」
「わ、わりィ……」

 若干のラグのあと耳元で大声が響いたのでチクリと釘を刺す。これであの子が起きたらできなくなるんだからね。
 少し体を離してカナディへ目を向けると、先ほどまで見せていた凛々しい表情は消え失せ、代わりに隠しきれないスケベ心による鼻の下が伸びただらしのない表情が張り付いていた。
 本当に正直だなぁ……。
 もう待ちきれないのか、カナディは大きな指をちまちま動かして私のパジャマのボタンを外していく。

「次は女の子がほしいんだよなぁ」
「また男の子だったらどうする?」
「三人目……」
「三人目も男の子だったら?」
「四人目……」
「四人目も——」
「五人目……」
「もー! 何人産ませる気なの?!」
「だはは! 女の子が産まれるまでかなぁ~」

 今度は屈託のない無邪気な笑顔を浮かべ、肌着の上から私の胸をもみもみと揉み始める。よくここまで表情とミスマッチな行動を取れるものだ。それにしても、女の子が産まれるまでかぁ。八人目か九人目でやっと産まれそう……。

「子どもを産むたびに体型が崩れていっちゃう」

 胸に顔を埋めるカナディの頭を撫でながら、このログハウスの中をどたばたと走り回る子どもたちを想像してぽつりと零す。一人産んだだけでも崩れたような気がするもの。
 嫌味だとか愚痴だとかじゃなくてなんの気なしに思ったことを呟いたら、聞き逃さなかったカナディがもごもごとくぐもった声を上げた。

「どんな姿になっても世界で一番綺麗に決まってんだろ? オレのメープルシロップちゃん」

 額のメープルリーフを私にめり込ませてふんふんと鼻息を荒くしていても、まだ理性はしっかり残っているみたい。本当になんてことのないぼやきにだって、とっても素敵な言葉で返してくれる。

「ありがとう、ハンサムなパンケーキさん。歳をとっていくあなたもきっと世界で一番かっこいいよ」
「そりゃそうだ」
「調子に乗らないの」

 すぐ軽口を叩くカナディを嗜め、二人でくすくすと笑った。
 カナディは私の胸元から顔を放して体を起こし、上から圧し掛かって二人目を作ろうと意気込んでいる。そんな彼を見つめていると愛念が起こり、夫婦円満のためにもたまには……ううん、週に一度くらいは肌を寄せ合う夜を過ごしたいなぁ、なんて。
 夫に言えばすぐに叶うけれど、口にするのは憚れる願望を密かに胸に抱いた。


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公開日:2025.03.13