カナディアンマン 匿名希望ファンレター

 定期的に開催されている正義超人のファン感謝デー。その控え室にはカナディアンマン以外に五、六人の正義超人がいて各々雑談に興じている。カナディアンマンは、その輪に加わることなくバッグをテーブルに置いてチェアに座ると頬杖を突き、暗鬱なため息をついた。
 十年以上前のまだ二十歳かそこらのころは、全身に自信が漲っていてなにをしても成功していた気がする。人気だって絶大で、子どものファンをはじめ若い女性のファンが多く、故郷カナダでの催し物では耳がキンキンとなるほど黄色い声を浴びた。女性からはよく出待ちをされたし、休日に街を歩けばサインだって求められた。そして、ファンからのプレゼントやファンレターが届かない日はないくらいで、むしろ連日増え続ける量に嬉しい悲鳴を上げていたほどだった。
 当時もらったファンレターはすべて保管していて故郷のログハウスの壁に飾ったり、時々読み返したりしている。だが、今はどうだろう。
 ファンレターやプレゼントは年々数を減らしていき、特に若い女性からはめっきり来なくなった。子どもからのファンレターはもちろん嬉しい。でも女性からのファンレターは格別で、なんだか男として認められたような気がしてモチベーションが上がるのだ。そのモチベーションの源が最近は得られず、カナディアンマンはテーブルに突っ伏す。このような控え室に山ほど届けられていたファンレターは、いまや多くて三通前後である。今日は控え室に入る前に超人委員会の窓口担当から二通手渡された。
 カナディアンマンはテーブルに頬をつけたまま、テーブルに置いていた二通のファンレターを開封する。どちらも男の子からで、クレヨンや色鉛筆でカナディアンマンやスペシャルマンのイラストが描かれていた。イラストの周りには覚えたてだと思われる日本語でのメッセージが書かれていて、カナディアンマンは緩く口角を上げる。

(どこの国でも子どもは文字が反転しちまうんだな……)

 日本は文字の数が多い。カナディアンマンは特別言語に堪能ではないが、度々訪日し、滞在するうちにひらがなとカタカナは読めるようになった。
 ファンレターに書かれた“がんばれ”の左右に反転した“れ”の字を見て、カナダの子どもたちからのファンレターにもアルファベットが反転していたものがあったことを思い出す。国も言語も違うのに共通点を見つけるとなんだか親近感を覚え、他国の子どもたちも可愛く思える。
 ファンレターを読み終えたカナディアンマンは封筒に便箋を戻し、裏面に書かれているリターンアドレスと名前をじっくりと見つめた。この男の子たちはどんな子なのだろう。昔は誰が送ってきたなんて気にしていなかった。なぜなら自身の人気を可視化するための“数字”だと捉えていたからだ。今までの——特に若いころにファンレターやプレゼントを贈ってくれた人々に対し、罪悪感と申し訳なさが芽生えたが、過去には戻れない。従って、せめてこれからは一人ひとりのファンを意識して立ち振る舞いを改めようと思ったのである。もちろん過去のファンもどんな人物だったのか知るために、帰国した際はファンレターを読み返して整理をしている。そこではじめて毎年送り続けてくれていたファンの存在を知り、当時の自分を罵った。
 カナディアンマンは同じ過ちを二度と犯さないようにと二人の子どもの名前を頭の中で繰り返す。そして、姿勢を正して二通のファンレターをテーブルに丁寧に重ねて置いた時、コンコンコン、と控え室のドアからノックの音が聞こえ、そちらへ顔を向けた。
 ドアが静かに開き、見知った女性が現れる。彼女は超人委員会に所属していて、オリンピックをはじめ各イベントで度々顔を合わせている顔なじみだった。だが、カナディアンマンは彼女の名前を知らない。彼女はすぐにカナディアンマンを見つけると顔をほころばせて近づいてくる。その手には一通の封筒が握られていた。

「こんにちは、カナディアンマン。あ、そのままで大丈夫」
「お、おう……!」
「今日もファンレターを預かっています」
「ありがとう」

 座ったままは失礼だと思ったカナディアンマンは席を立とうとする。しかし、彼女に静止されてしまい、結局座ったまま差し出された封筒を受け取った。見慣れた白いシンプルな封筒には、ご丁寧に赤い封蝋がされている。ひっくり返してリターンアドレスを確認したが、裏面には白地以外なにもなかった。カナディアンマンはじっと手元の封筒を見つめてから、目の前の彼女へ目を戻す。

「なぁ、前も聞いたけど、この送り主は誰なんだ?」

 ファンレターの送り先は超人委員会になっているため、先ほど受け取った二通のように通常は担当者がまとめて持ってくる。しかし、この白いファンレターは、目の前の彼女が毎回渡してくる——つまり個人的に預かっていると言える。
 半年ほど前から彼女を通して届けられるファンレター。超人委員会の催し物に呼ばれた時のみだが、月に一回、多くて二回ほどなので、今までで十通前後はもらっていることになる。ファンレターの送り主は熱烈なファンのようで、便箋にはカナディアンマンが出演した催し物や公開トレーニングでの様子、どの点がよかったなどびっしり綴られていた。それは、時としてカナディアンマン自身が気づいていない長所を教えてくれていた。
 今回のファン感謝デーに来場しているのなら直接会って、格闘技術向上のきっかけを与えてくれたことに対してお礼を伝えたい。しかし、目の前の女性はふるふると首を横に振る。

「以前も言いましたが、認知されたくないみたいで教えることはできません」
「そうか……じゃぁ、今日終わったらいつもの公園来てくれるか?」
「……はい」

 彼女はにこりと笑い、今度は首を縦に振った。

「今日も子どもたちをお願いしますね。それでは失礼します」
「あぁ」

 律儀に頭を下げ、控え室を出ていく彼女の背中を見送ったカナディアンマンは、白いファンレターをテーブルに置き、次はバッグの口に手を突っ込む。中を見ずにごそごそと手で漁り、お目当ての物に触れるとそれを引っ張り出す。白くて大きな手にはサインペンとメッセージカードのパックが握られていた。白いファンレターは正規ルートでカナディアンマンの元へ届いていない。そのため、個人的にお礼のコメントをこっそり彼女に託し、送り主へ渡してもらっているのだった。
 カナディアンマンはサインペンとメッセージカードをテーブルに置き、先ほど受け取った白いファンレターを開封する。想像どおり、今日のファンレターには少し前に出演したイベントなどについて書かれていた。青い瞳を左右に動かして「よく見ているなぁ」と感心しながら読み進めていく。
 筆跡から想像するに送り主は女性だろうか。文面からはカナディアンマンに対する好意が溢れていて、ここまで真剣に自分を思ってくれていることが嬉しく、自然とだらしない表情を浮かべた。
 ファンレターを読み終えたカナディアンマンの胸は、なんだかほわほわとあたたかい。便箋を丁寧に畳んで封筒に戻し、お礼のコメントを書こうとメッセージカードのパックから一枚取り出す。サインペンを握って、書く前にファンレターの内容を頭の中で反芻していると、かすかに違和感を覚えた。

(ん……? 確かあれって……)

 カナディアンマンは、サインペンを置いて再び白いファンレターを手に取って目を通す。やっぱりおかしい。それにこの筆跡もどこかで見た覚えがある。半年前よりももっと前の——カナディアンマンは目を瞑り、眉間に皴を刻んで記憶の糸を手繰り寄せ始めた。だが、それも突然の訪問者によって中断を余儀なくされる。

「みなさーん、会場へお入りください!」

 気がつかないうちに会場入りの時間が迫っていたようだ。白いファンレターのことが気にかかるが、まずは来場しているファンを楽しませることに専念しなければ。カナディアンマンはバッグの中にファンレター三通とサインペン、メッセージカードを突っ込み、他の超人たちとともに控え室を後にした。

◇ ◇ ◇

 会場を後にしたカナディアンマンは、彼女と落ち合う約束をしていた公園に来ていた。委員会に所属している彼女は片付けなどがあり、カナディアンマンが先に公園で待つことが恒例となっていた。
 カナディアンマンは公園の中央にある池を囲う柵に腕を組むように乗せ、背中を丸めて赤く染まりつつある水面をぼんやりと見つめる。頭の中で考えるのは、今日のファン感謝デーでふれあった子どもたちのことだ。ここのところ冴えない戦績であるにもかかわらず、カナディアンマンの元へ来た子どもたちの瞳は純真無垢で、キラキラと輝いていた。その眼差しはどんな高価な宝石よりも貴く、慕ってくれる子どもたちに応えられるようになりたいと自身を奮い立たせる原動力になった。そして、もう一つの原動力であるファンレターのことも忘れていない。
 子どもたちとのふれあいを終えたカナディアンマンは控え室に戻り、ほかの正義超人たちを見送ってからメッセージカードにコメントを書き込んだ。どうしても気になることがあったが、メッセージカードの狭いスペースに書くのも無粋に思えたし、直接本人に聞こうといつもどおりの無難なコメントに落ち着いた。
 公園で彼女を待つことおよそ一時間——背後から女性に声を掛けられ、カナディアンマンは振り返る。

「す、すみませんっ! 遅くなってしまって……」
「おー、お疲れ。謝らなくていいって」
「あ……ありがとうございます……」

 走ってきたのだろう。ぜぇぜぇと息を切らし、肩を上下させて呼吸する彼女が立っていた。息を整える間もなくカナディアンマンへ謝罪の言葉を口にして、控え室を出て行った時と同じく律儀に頭を下げている。そんな様子に苦笑を漏らしたカナディアンマンは、近くのベンチへ座るように促した。ベンチの中央にはカナディアンマンのバッグが置かれていて、息の荒い彼女は素直にその隣に腰を下ろす。

「走ってこなくてよかったのに」
「そ、そういうわけには……片付けに時間がかかってしまって、お待たせしていると思ったら……」
「真面目だなぁ」

 会話を交わしつつ、カナディアンマンもベンチの反対側に座り、バッグを開けて中から紙パックの果汁ジュースを取り出す。以前、隣の彼女が飲んでいたのを見かけて公園近くの自動販売機で買ったジュースだ。それを彼女に差し出した。

「ちょっとぬるくなったけど」
「えっ……だ、大丈夫ですっ……!」
「いやいや、すげー苦しそうだし飲んどけって」
「……あ、ありがとうございます」

 まさかカナディアンマンからジュースをもらうとは思ってもいなかったようで、緊張かそれとも動揺か彼女の蒸気した頬が色味を強くする。彼女は仕事柄か口調はいつも淡々としていてあまり感情が読めないのだが、どうやら顔は正直なようだ。
 カナディアンマンから両手でジュースを受け取るも、すぐに飲まずにじっとパッケージを見つめている。よっぽどこのジュースが好きなのかもしれない。
 彼女は三十秒ほどパッケージを見つめると、側面につけられたストローを取って挿し口にその切っ先を突き刺す。そして、カナディアンマンへ顔を向けて「いただきますね」と律儀に断ってからストローに口をつけた。
 彼女がジュースを飲んでいる間にカナディアンマンはバッグの口を開き、浅い内ポケットに入れていたメッセージカードを取り出す。特に補強はしていなかったため全体が緩く内側に反り、角に小さな折り目もついている。カナディアンマンはメッセージカードの反りと折り目がなくなるように、さりげなく大きな両手でプレスした。

「それで、今日は……?」
「あ、あぁ! これ……いつもと変わり映えしねぇけど」
「……渡しておきますね」
「いやぁ……渡しておくっていうか……」
「?」

 珍しく歯切れの悪いカナディアンマンを不思議そうにふたつの瞳が見つめる。パチリと視線がぶつかり、カナディアンマンは彼女の瞳を直視できずにスカイブルーの瞳を左右に二、三往復させた。
 どうしよう。ここで誤魔化せば今日はこれで解散になるだろう。しかし、それでは喉に刺さった小骨のような引っかかりをずっと抱えることになる。

(言うって決めただろ! 尻込みしてどうするんだよ!)

 カナディアンマンは言い淀む自身に心中で喝を入れ、視線を彼女へ定めた。

「このメッセージカードは君に……あのファンレター、書いたのは君だろ?」
「!? なっ、なんで……!?」
「だって、この間のリハーサルのことが書いてたからさ。あれを見ることができたのは参加した超人か委員会関係者だけだ」
「あ……」

 受け取った白いファンレターには、本日のファン感謝デーで披露した超人たちによる模擬試合のリハーサルについて記載されていた。その日のカナディアンマンは調子がよく、普段よりも技が冴えていた。それは傍目にも明らかだったのだろう。彼女は非公開であることも忘れて気持ちの赴くままに便箋に書き綴ってしまったのだ。

「それと、昔からファンレター送ってくれてたよな? 名前は確か——」

 追い打ちをかけるようにカナディアンマンがとある名前を口にすると、彼女はパッと俯いてみるみるうちに首から上を真っ赤に染め上げる。動揺して手に力が入ったのか、ストローからジュースがピュッと数滴飛び出して彼女のズボンに染みを作った。慌てて手を緩めた彼女の瞳には涙が滲んでいて、それは見ている側が気の毒に思えるほどだった。

「……なんでわかったんですか」
「あー……筆跡がさ、同じだったから……」
「やっぱり、ファンのこと覚えてるんですね」
「いやぁ~……ハハ……」

 羞恥心から滲んだ涙を拭い、震える声で尋ねてくる彼女にカナディアンマンは乾いた笑いを漏らす。
 言えない。先日、帰国した時にたまたま読み返していただなんて言えない。ちなみに空で名前を言えたのは、彼女が毎年数回のファンレターを送ってくれていた熱烈なファンで、印象に残っていたからだ。

(この子がずっと送ってくれてたんだなぁ……)

 昔の自分に対してファンレターを送ってくれていたのも、今の自分に対して白いファンレターを毎回くれていたのも隣の彼女だったと確定し、カナディアンマンはしみじみとその事実を噛みしめる。超人委員会に属しているのなら目は肥えているだろうから戦う様子を詳しく書いていたことにも納得できた。
 ようやく送り主が判明して嬉しさで胸がいっぱいのカナディアンマンだったが、彼女はそうではなかった。

「気持ち悪かったですよね……すみませんでした。もう送らないようにします」

 立ち上がった彼女はジュースとメッセージカードを大切そうに持ち、カナディアンマンに頭を下げる。その震えた涙声と頭を下げた拍子にぽたりと地面に落ちた雫にカナディアンマンはサーっと青ざめた。泣かせるつもりなんてなかった。ただ自分がファンレターの送り主を突き止めたかっただけだ。このまま彼女を帰すことなんてできない。
 カナディアンマンは立ち上がり、踵を返そうとする彼女の腕を掴んだ。

「気持ち悪くなんかねぇって! むしろずっと礼が言いたかったんだ!」
「……!」
「オレのこと細かく書いてて、よく見てくれてんだなって思ったし、技や動きの改善に役立ったり……あと、いつも元気づけてもらってんだよ! だ、だから、なっ?」

 振り返った彼女の涙で光る瞳に見上げられ、たじろぎながらカナディアンマンは再びベンチに座るように促す。彼女は瞳を伏せて少しだけ逡巡する素振りを見せたが、小さく頷くと一歩ベンチに向けて足を踏み出した。カナディアンマンは手を離し、彼女が腰を下ろすと同時に自身もベンチに腰掛ける。

「…………」
「…………」

 気まずい無言の時間が流れる。呼び止めたもののカナディアンマンは目的を果たしているため、どう話しかければすればよいかわからない。引き留めた手前、自分から話を振るべきだとは思うのだが——うぅんと頭を悩ませていると隣から鼻をすんすんと啜る音が聞こえてくる。そうだ、彼女を泣かせてしまったのだ。まずは泣き止んでもらわねばならない。
 カナディアンマンはバッグからタオルを一枚取り出した。使ってはいないのだが、安物で薄くてごわつき、ところどころほつれがあって非常に渡しにくい。しかし、ないよりはマシだと思えるし、彼女は控えめだから断る可能性だってあるだろう。断られる可能性に賭けてカナディアンマンはタオルを差し出す。それに気づいた彼女はチラ、とカナディアンマンへ目を向け、小さく頭を下げて受け取った。受け取られてしまった。気まずい。
 明日から柔軟剤を使って洗濯しようか、それとも女性の涙を拭うためにハンカを持ち歩くか——彼女が泣き止むまでの間にカナディアンマンは頭の中で様々な選択肢を思い浮かべていたが、彼女が口を切ったことで考えを中断した。

「さっきは、色々と嬉しい言葉をありがとうございました」
「それはオレのセリフだって。いつも励まされてたんだぜ?」
「励まされていたのは、私のほうです」
「へ?」

 カナディアンマンは素っ頓狂な声を上げ、目を丸くした。自分が彼女を励ましたことなんて一度もない。もしかして、自分の戦う姿に勇気づけられたとか、よく他のファンから聞くことが多いそのパターンだろうか。しかし、彼女からのファンレターにその類の話は書かれていなかった。自身のことは一切語らず、愚直なまでにカナディアンマンのことしか書いていないのだ。
 彼女はなぜ自分のファンになったのだろう。
 そんなカナディアンマンの疑問に答えるように、借りたタオルで涙を拭いた彼女がぽつぽつと話し始めた。

「子どものころ、父親の仕事の都合で日本からカナダに引っ越しました。言葉が通じなくて周りと馴染めなくて、落ち込む毎日で……そんな時に、テレビであなたを見たんです。血気盛んで自信満々って感じでした」
「それって、オレが二十とかそのくらいの……?」
「はい」
「うわぁ……」
「?」
「なんでもない……続けてくれ」
「はい……インタビューではなにを言っているかわからなかったんですが、晴れやかな笑顔で対応されていて、とても眩しく思えて……すぐにファンになりました。私もあなたみたいに笑顔で過ごしたいと思って、英語とフランス語の勉強を始めたんですよ」

 つらつらと語る彼女とは対照的に、カナディアンマンは口を噤んでなにも言えない。今でも調子に乗っていると言われることがあるが、当時は今以上に調子に乗っていた。故郷での“若気の至り”を日本で掘り返され、穴があったら入りたい気持ちに襲われる。そのカナディアンマンの羞恥心にも後悔にも気づいていない彼女は話を続けた。

「時間はかかったし、上手ではないですが、英語が話せるようになると友達も少しずつ増えて、以前よりもカナダでの暮らしは苦痛じゃなくなったんです。学校はカナディアンマンの話題で持ちきりでしたよ。私もお小遣いを貯めて友達とあなたの試合を見に行きました」
「へー……」
「リングで戦っているカナディアンマンはとてもかっこよくて……今も目に焼きついて忘れられません
そしてどうしても気持ちが抑えられなくなって、初めてファンレターを書きました」
「…………」
「返事が来なくてもよかったんです。自分の気持ちを伝えたかっただけで……だから、バレたことが恥ずかしくて、涙が出てしまいました。驚かせてしまってすみません」

 話しているうちに落ち着いてきたのか、カナディアンマンへ顔を向けた彼女の瞳から涙は消え去っていた。泣き止んだことにほっとするもまた新たな疑問を抱く。なぜ彼女はファンレターを手渡すようになったのだろう。彼女と腹を割って話す機会なんて早々ないし、お互い恥もなにもかもさらけ出しているようなものなのだから、いっそのこと聞いてみよう。今度はカナディアンマンが口を開く番だった。

「なぁ、ひとつ聞いていいか? なんで直接オレに渡すようになったんだ?」
「そ、それは……」
「……切手代がもったいなかったとか?」
「そんなわけないでしょう!」

 カナディアンマンが冗談半分で問いかけると、普段の彼女からは想像もつかないほどの大声が飛び出す。こんなに大きな声も出せたのかとカナディアンマンが目を丸くすると、我に返ったのかバツが悪そうに彼女はぎこちなく視線を逸らした。

「カナディアンマンが……リターンアドレスを見ていたから……」
「確かに見てるけど……それとこれとどういう関係が?」
「その、もし私の名前を知っていたらと思うとリターンアドレスが書けなくなって……それに、超人宛ての手紙やプレゼント類は委員会で確認後に本人へ渡すので、委員会のメンバーに筆跡でバレてしまいそうで……」
「だからリターンアドレスのないファンレターをオレに直接……ん? 偽名じゃダメだったのか?」
「もっ、もし! もしですよ!? カナディアンマンがお返事を書いたのに宛先不明で戻ってきたらと思うと……!」
「なんか想像力豊かだな……」
「ファンってそういうものなんです! 一方的に想いを伝えられたらいいって思ってるのに、どこかで認知されているかもって期待しちゃうんです!」

 興奮しているのか前のめりになり、早口でまくし立ててくる彼女を見てカナディアンマンは呆気にとられる。いつもの静かで律儀な姿とはかけ離れていて、激しい二面性にびっくりしてなにも言えない。しかし、ただ驚くだけではなかった。カナディアンマンは、彼女を熱狂と言えるほどここまで激しくさせているのは紛れもない自分自身なのだと気がついたのだ。
 ファンの数は減った。それに伴い、ファンレターとプレゼントも減った。客観的に見てカナディアンマンは人気があるかと問われれば、ファンの人数が少なくなっているから人気がないと言えるだろう。だが、それは所詮他人からの評価だ。カナディアンマンは、ファンの数よりも目の前にいる昔から応援してくれているファンを大切にしたい気持ちを抱いた。今日受け取ったファンレターの送り主である二人の子どもやファン感謝デーでいの一番に駆け寄ってきた子どもたち。そして、まだ出会ったことのない応援してくれている人たちを。
 自分に“カナディアンマン”という名前があって人生があるように彼らも名前があって人生があり、その途中でファンになってくれた。さらには、自身の時間を割いてまでその気持ちを手紙にしたためたり、時にはイベントなどで直接会ったりして伝えてくれている。そんな彼らの瞳に宿るキラキラとした輝きに応えたいと改めて思ったのだ。

「カナディアンマン、私は強くもない超人です。でもあなたを見て、憧れて、超人と携わる仕事に就きたいと思ってその夢を叶えました。私が今ここにいるのは、カナディアンマンのおかげなんです」

 再びキラキラとした憧れの込められた眼差しを向けられ、カナディアンマンは言葉を詰まらせる。彼女が話している“カナディアンマン”は昔の自分のことだとわかったからだ。ファンの期待に応えたいと思ったが、今の自分には期待されるような価値はないのではないかと先ほどの気持ちは消え去り、天邪鬼が顔を出す。

「……確かに昔のオレはすごかったよなぁ」
「なにを言ってるんですか!」
「?!」

 ぽつりと零れたカナディアンマンの弱音。それに過剰に反応した彼女は大声を上げ、ずいっとカナディアンマンへ詰め寄った。

「今のカナディアンマンもすごいですよ! アシュラマンとサンシャインが乱入した時も臆せず立ち向かったじゃないですか!」
「や、やられたんだけど……」
「結果はどうあれ、その立ち向かう勇気! 私なら怖くて無理です! それに、以前は完全無欠で手が届かない存在に思えましたが、今は親近感が湧くというか……」
(親近感……庶民派ってことか?)
「……完璧な人なんていません。カナディアンマンは今が不調だと思っているかもしれませんが、ファンレターを送ってくれた子どもたちは今のあなたを見てファンになったんです。私だってずっとずっとカナディアンマンのことが好きなんです! だからっ……自分を卑下しないで、くださいっ……!」

 感極まって涙が込み上げてきたようだ。彼女はカナディアンマンの薄いタオルに顔を埋めて肩を震わせている。あぁ、また泣かせてしまった。しかし、この泣き方は放っておくのがよさそうだ。カナディアンマンは彼女に声をかけず、先ほど言われた言葉に一人でウンウンと頷く。確かに言われたとおりだった。子どもたちは絶好調だったころのカナディアンマンを知らないのにファンになってくれた。それに彼女をはじめ、十年来の筋金入りのファンはごく少数だがいる。弱音を吐くなんて自分らしくなかったとすぐに思い直し、彼女の肩にぽんと手を置いた。

「わかったよ、もう言わねぇって」
「……本当ですか?」
「おう! 今のオレを応援してくれている人たちに申し訳ないしな……ありがとう」
「いっ、いえ、そんな……カナディアンマン……そんな……」
(すげー挙動不審なファンって感じ……)

 タオルから顔を上げた彼女は泣き顔から一転、目尻の垂れたでれでれとした笑顔を見せる。よく握手会で見かけるファンの笑顔と同じだ。だからこそ、彼女が本当に純粋なファンなのだとわかる。そんな彼女につられるように、カナディアンマンもハハハと歯を見せて笑った。

◇ ◇ ◇

 スペシャルマンとの訓練の間の小休止、カナディアンマンは深々と息を吐いてタオルで汗を拭う。隣ではスペシャルマンがスポーツドリンクを飲んでいる。ゴクゴクと喉を鳴らし、一息ついたスペシャルマンは頭上のカナディアンマンを見上げた。

「さっきのコンビネーションはよかったね!」
「そうだな、今日は調子がいいぜ」
「今日どころか最近すごく頑張って……って、そのタオルどうしたの?! やけに生地が厚くていいやつじゃない!?」
「ファンからもらったんだよ」
「いいね! 実用的なものが一番助かるもんね」

 目ざとく新しいタオルを見つけたスペシャルマンは、自分のことのように喜んでいる。そんなスペシャルマンを見て、カナディアンマンは口角を上げた。ふわふわと柔らかい質のよいタオルは、白いファンレターとクリーニング済みの薄いタオルとともにファンから渡されたものだった。
 ファンレターには、メッセージカードとジュースのお礼、感情が昂って挙動不審になったことに対する謝罪やファン感謝デーでのカナディアンマンの様子などが記されていた。

“You are a more attractive than you think you are. I'll forever be your fan! I'll always love and support you!”

 ファンレターの内容を思い出し、カナディアンマンはニタニタとだらしない笑みを浮かべる。

「カナディ、スケベに見えるからその顔やめたほうがいいよ……」
「いやぁ~……やっぱ女性からって嬉しいよなぁ~」
「そ、そうかな……誰からもらっても嬉しいけど……」
「よっしゃ、休憩終わり! 続きやろうぜ!」
「う、うん……」

 スペシャルマンの返事をろくに聞かず、タオルを汚さないように丁寧にバッグの上に置くカナディアンマン。いつも元気だが、今日は特に元気でやる気に満ちている。スペシャルマンは相変わらず現金な相棒に呆れながらも、彼にやる気を出させてくれるファンレターの送り主へ密かに感謝するのだった。





ペパロニマッカー‼️さんから素敵なイラストをいただきました。
こちら】からご覧ください。
とても嬉しいです~!ありがとうございます!!!


コミックシティ関西30 マッスル大祭 2025.01.12
公開日:2025.03.13