カナディアンマン カナディアンマンコンプレックス

 スペシャルマンがいつも訓練を行っている広場へ向かうとそこには既にカナディアンマンがいた。均整のとれた巨躯の持ち主は腕を組んで背筋をピンと伸ばし、まさに威風堂々たる立ち姿を見せている。

「カナディ、今日は早い……ね……?」

 どのくらい彼を待たせたのだろう。
 駆け寄ったスペシャルマンはカナディアンマンを見上げながら声をかけたが、それは尻すぼみになっていき、更に疑問符のおまけまでつく。なぜなら見上げた先の白い頬にメープルにも似た赤い手形が浮き上がっていたのだ。

「……ほっぺ、どうしたの」
「これか……ふっ」

 スペシャルマンの問いにカナディアンマンは得意げな笑みを浮かべ、鼻で笑う。頬にビンタなど明らかに女性関係のトラブルで誇ることではないのだが——
 彼を構い続けるのも癪で、それ以上は言及せずにスペシャルマンはストレッチを始める。

「おいおいおい! ここは食い下がって聞くところだろ⁉」
「もう……言いたいなら自分から言えばいいじゃない」

 スペシャルマンが手足の腱を伸ばしながら胡乱な目つきで見やると、カナディアンマンはムッとしたのか唇を尖らせた。

「聞いてくれると思ったんだよー……」
「最初に聞いたでしょ。それで、なにがあったの?」

 結局、性根の優しいスペシャルマンはカナディアンマンに付き合うことにし、ストレッチを辞めて近くのベンチに腰を下ろす。カナディアンマンも待ってましたとばかりに同じベンチに腰掛け、隣のスペシャルマンへ顔を向けてニヒヒッと笑った。

「ついにオレは運命の女性と出逢ったんだよ! 一目見てビビッと来てさぁ!」
「うん? でもなんでビンタなんて……」
「声かけるだろ? 聞こえなかったのか返事がなくてな……名前や歳や連絡先を聞き続けたら『うるさいッ!』って怒鳴られてビンタされた」
「聞こえなかったんじゃなくて無視されてたんじゃ……」
「む、無視……そうか、無視かぁ……はぁ……」
「それで、結局なにも聞き出せなかったの?」
「あぁ……なにも……」

 カナディアンマンはそこで言葉を切り、スペシャルマンを食い入るように見つめた。

「な、なに……?」
「いや……その子とスペシャルマンがちょっと似てたなぁって」
「やめてよ~!」

 一目惚れの相手と似ているだなんて、嬉しいような照れくさいような。反射的に少し仰け反ってしまったスペシャルマンに、カナディアンマンは「ははは……」と乾いた笑い声を漏らした。

「本当にちょっと似てるんだよ。雰囲気かなぁ……」
「もう二度と会えないんだから、こんな話はやめて訓練しようよ」
「うぐッ」

 スペシャルマンにバッサリと切り捨てられたカナディアンマンは、ガックリと肩を落として重いため息を吐く。スペシャルマンはそんな彼の腕を引っ張ってベンチから引きずり下ろすと、地面に放置したままストレッチを再開した。

◇ ◇ ◇

(今日のカナディはやる気がなかったなぁ……)

 十八時を回り、特訓を切り上げたスペシャルマンは帰路につきながら今日を振り返る。
“運命の女性”に振られ、二度と会えないと理解したカナディアンマンはあれからすっかり魂が抜けたようになってしまった。そんな状態でスパーリングもできるわけがなく、簡単な筋トレをしただけで今日の特訓は終わったのだ。
 正直、スペシャルマンは安堵した。もし相棒に恋人ができたら自分と過ごす時間が減るのは目に見えている。だから、カナディアンマンが運命の女性〟についてなんの情報も得られなかったことに胸中では喜んだのだ。そんな自分が嫌にも感じるが、そう思ってしまったのだから仕方がない。
 一晩経てばいつものカナディアンマンに戻っているだろうか。そんなことを考えながら入居している超人専用の賃貸マンションに帰りつき、ドアに鍵を差し込んで回したが手応えがない。

(えっ……開いてる……?)

 スペシャルマンは頬に汗を垂らし、一歩退いた。いつもマンションを出る際、鍵をかけたかドアノブを回して施錠の確認をしている。今日だって絶対に確認した。その自信が彼にはあった。
 では、一体誰が鍵を開けたのだろう。ここは超人専用のマンションで、人間が入り込むことなど考えられない。

(だったら、ほかの超人が……?)

 部屋に盗まれて困るような貴重品は置いていないため特に問題はないのだが、荒らされていたら非常に面倒だ。もう夜だというのに片付けたり警察を呼んだりしたくない。だが、現状から目を逸らしていては何も解決しない。
 覚悟を決めたスペシャルマンは、ごくりと唾を飲み込んで静かに玄関のドアを開けた。

「あっはっはっは!」

 リビングから漏れる明かりと女の笑い声。どうやら侵入者はずいぶんとリラックスしてテレビを見ているようだ自宅でもないのにやけに肝っ玉の据わったふてぶてしい女だ。もし相手が人間の盗人だったり、痛いファンだったりしたら凄んでみせて追い出そう。スペシャルマンは腹を括り、リビングへ足を進めた。

「お、おいっ! 人の家でなに、を……?」
「あ、スペ! おかえり!」
「ねっ……姉さん!?」

 大声を出しながら突撃したリビングで、思わぬ人物に出迎えられたスペシャルマンは目を丸くした。アメリカにいるはずの実姉が、Tシャツとショートパンツのやけにラフな格好で缶ビール片手にソファーに腰掛けていたのだ。
 確かにここへ入居した際、アメリカの家族にはいつでも来てよいと合鍵を渡していたが、まさか何の連絡もなく来るとは——いや、この姉ならやりかねない。姉はわがままで自由奔放で、小さい時は無理難題を押し付けてきて、時には濡れ衣を着せられて親から怒られと、そりゃもう散々な目に遭ってきた。しかし、スペシャルマンはそんな彼女とともに育ったからこそ、歳の割に落ち着きがなくおとなげないカナディアンマンと辛抱強く付き合えているのだ。

「スペ~、こっちおいでぇ」
「はぁ……」

 へべれけ状態の姉に手招きをされ、スペシャルマンはげんなりしながらもそれに従う。断って癇癪を起こされればたまったものではない。
 しぶしぶ彼女の隣に座った途端、二本の腕が伸びてきてぎゅーっと熱い抱擁が一方的に贈られた。

「可愛いスペ……寂しかったでしょ?」
「べ、別に……」
「こらぁ! 私を強く抱きしめなさい!」
「はぁぁ……」

 アルコールの臭いがぷんと漂ってきて眉が自然と寄ってしまう。加えて抱き返せとの命令だ。勘弁してほしいと思いながら、スペシャルマンは姉の背に手を回した。もう子どもではないのだから力で勝てるというのに、幼いころの刷り込みで姉には逆らえない。しばらく抱きしめていたら姉も満足するだろうと、スペシャルマンは我慢して自分よりも小柄な体を抱きしめた。

「スペぇ~……お姉ちゃんは寂しいよ」
「そ、そうなんだ」
「彼氏もいない、婚期も見えない。可愛いスペもいないし……でも日本ならスペはいるし、出会いだってあるかもしれないじゃない? だから、私も日本にいようと思って」
「ソウナンダ」

 突然腕の中でカミングアウトされ、スペシャルマンは虚無顔になる。あの傍若無人でわが道を行く姉が“寂しい”なんて感情を持っていたとは……ぞっとして寒気がし、さらに人恋しいだけでわざわざ日本に来たことに呆れを感じた。男を探しに日本にまで来る行動力をもっとほかの分野で活かせばよいのに、方向性を誤っている。とりあえず話を適当に聞けば満足するだろう。
 姉の体を離し、お互いソファーに座り直したところで、スペシャルマンは酒気でうっすらと頬を染めている彼女を見つめた。

「そ、それで、これからどうするの? あっちの仕事は辞めたの?」
「ヴァカンスで来たんだよ。一ヶ月滞在するからよろしくー」
「えっ、ここに泊まるんじゃないよね……?」
「ここに泊まるよ」
「はァ!?」

 姉の口から飛び出た爆弾発言にスペシャルマンは目を剥いた。ようやく手に入った自分だけの城がひと月も外敵に占領されてしまうなんて冗談じゃない!
 思わず不満が凝縮された声を上げてしまったが、それは姉も同じだったようだ。

「はァ!? はこっちのセリフよ! あんたの相棒はなんなの!!」
「いっ、いきなりなにを……」
「今日さぁ、スペの家に行く前になんか買っていこうって思って百貨店に入ろうとしたの! そしたらさぁ、あの、カナ……カ、カナ……なんだっけ。スペが組んでるビッグなんとかのでかい人がね、ナンパしてきて~……」
「えっ? え……? もしかして、カナディにビンタした……?」
「えー!? なんで知ってるのぉ!?……ひっく」

 驚きながらしゃっくりをする姉にスペシャルマンは頭を抱える。まさかカナディアンマンが言っていた件の“運命の女性”が実姉だったなんて。ここでようやくカナディアンマンの『“運命の女性”がスペシャルマンと似ていた』発言も納得がいく。
 血が通っている姉弟なだけあって、静かに黙っている時の姉とスペシャルマンは雰囲気が似ていると言われたことが過去に何度かあった。スペシャルマンのようにおとなしいのだろうと姉にモーションをかけた男たちが散々な目に遭ってきたのも嫌というほど目撃している。おそらくカナディアンマンもこの姉をおとなしくて静かな女性だと勘違いしたに違いない。
 よりにもよってこの姉に惚れるなんて——そこでスペシャルマンはハッとする。もし、この姉とカナディアンマンが結婚にいたれば、自分とカナディアンマンは義理の兄弟となる。さらに二人が子どもを授かればカナディアンマンの子どもの叔父に……素晴らしい。素晴らしすぎる。
 カナディアンマンコンプレックスを患っているスペシャルマンは表情にはおくびにも出さず、胸中を歓喜一色に染め上げた。
 カナディアンマンが現役を引退したら今のような交流が続く確証はない。ましてや見知らぬ女性と家庭を築いた場合、そこに自分の入る余地はないように思えて嫉妬と喪失感で狂ってしまうだろう。しかし、カナディアンマンのパートナーが実姉なら話は別だ。義兄弟なのだ。なにかにつけて一緒に過ごすことができる。
 これは神様が与えてくれた一回限りのチャンスだとスペシャルマンは気を引き締めた。
 カナディアンマンがあんなに惚れこんでいたのだから姉をその気にさせればいい。その気にならなければ、なんとか言いくるめて三人で居酒屋にでも赴き、二人に酒を大量に飲ませて既成事実を作ろう。
このような下劣な謀略を身内に対してめぐらすものではないが、スペシャルマンは重度のカナコン(カナディアンマンコンプレックスの略)で必死だった。先ほどまで姉の話を適当に聞いていた彼は、もうどこにもいない。
 スペシャルマンは姉と向き合い、その肩をぐっと両手で、彼にしては珍しく強めに掴んだ。

「姉さん、カナディと付き合ってみたらどうだろう?」
「冗談はよしてよ……酔いが醒めてきちゃった」
「醒めたならしっかり考えて! 姉さんは彼氏がほしいし結婚もしたいんだよね?」
「そ、そうだけど……あのカナダの大男はやぁよ」

 カナディアンマンが嫌だと……? 思わず白銀のつるりとした額に血管を浮き出しそうになったスペシャルマンだったがぐっと堪え、唇の端をぴくぴくと引き攣らせながら胡散臭い笑みを浮かべた。

「姉さんは高身長のイケメンがいいって言ってたじゃないか! カナディは高身長の男前でしょ!?」
「うっ……で、でもお金持ってなさそうだしぃ……」
「それがね、彼はカナダにジムを開いているんだよ。いわば経営者なんだ」
「ウソ!?」

 案の定、高身長イケメンと金に弱い姉が食いついてきて、スペシャルマンはニヤリとほくそ笑む。カナディアンマンのマイナスイメージを払拭できれば、姉も二度と彼の頬にビンタを食らわせることはないだろう。そのためにも更に畳みかける必要がある。
 気を抜けば厭らしい笑みを浮かべそうな表情筋に力を込めて、スペシャルマンは言葉を続ける。

「ウソじゃないよ。“CANADIANMAN GYM”っていうんだけど、人間が通えるくらい立地の良いところに建てていて、カナディが不在の時はスタッフに運営を任せているんだって。つまり、人を雇う余裕もあるんだよ。どう? カナディってあんなふうに見えて、実はスペックがとても高いんだ。“賢いオオカミは牙を隠す”って言うじゃない。そんな男なんだよ!」
「グ、グムーッ……!」

 姉の口から聞いたこともない唸り声が飛び出し、スペシャルマンは必殺技(フェイバリット)が決まったと確信した。残すところは言質を取り、姉とカナディアンマンがしっぽりできるように仕向ければいい。

「急に交際もハードルが高いだろうし、まずは三人で食事にでも行かない?」
「う~ん……まぁ……食事、くらいなら……」
「姉さん、ありがとう……愛してるよ」
「えー!? スペが久しぶりに言ってくれるなんて~! 私も愛してる!」

 愛弟からの親愛の言葉に感極まった姉が抱きついてくる。その体を抱き返し、スペシャルマンはニタァ……と口角を吊り上げた。それは普段の爽やかさなど微塵も感じられない、いまだかつて誰にも見せたことのない禍々しい笑みであった。

 数日後、スペシャルマンの思惑通りに三人で夜に食事へ行くことになる。
 スペシャルマンから姉を紹介されたカナディアンマンは“運命の女性”との再会が叶い、諸手を上げて喜んだ。そして、スペシャルマンは姉をおだてに乗らせて酔いつぶし、戸惑うカナディアンマンに押し付けたのである。
 作戦は上手くいった——そう思っていたスペシャルマンだったが、大きな誤算があった。姉を押し付けられたカナディアンマンは、やむを得ず近場のホテルへ入ったものの彼女に手を出さなかったのだ。曰く『恋人ではない女性に手は出せない』とのことで、酔いつぶれた姉をベッドに寝かせ、自身は床で寝たらしい。彼のその気高い意思にスペシャルマンは感銘を受け、ますますカナコンが悪化した。
 だが、これではいけない。自分がカナディアンマンに惚れ込んでいる場合ではなく、姉とどうにかして関係を持ってもらわねばならないのだ。
 早朝、カナディアンマンに連れられてマンションに戻ってきた姉は、リビングのソファーの上に膝を抱えて座り、ぼんやりとテレビを見つめている。次の謀略なんぞ思いついていないが、スペシャルマンはさりげなく彼女の隣に座ってなんと声をかけようか思いあぐねる。しかし、その思考もすぐに姉の声で中断させられた。

「ねぇ……カナディアンマンとは毎日会ってるの?」
「え……まぁ、うん……一緒に訓練してるからね。今日も午後三時ごろに行くけど」
「ふぅん……見に行こうかな」
「どうしたの急に!? むさくるしいし汗臭いから興味ないって言ってたよね!?」
「べ、別に気まぐれだし!」
「へぇー……」

 隣の姉はテレビへ目を向けたままだったが、その頬はいつもより赤みが強い。

(さては……カナディに惚れたのか)

 ナンパをしてくる軽いやつだと思っていたのに、好意を寄せている女性であっても酔っていたら手を出さない誠実さ——それを見せられ、ギャップに姉はやられてしまったのだ。わが姉ながらチョロいと思ったが、相手がカナディアンマンなら仕方がない。誰だって惚れるに決まっている。よくよく考えれば、一時の過ちで家族になったとしても夫婦円満とはいかないだろう。それだったら相手を想い合う気持ちがあった方がよい。

(姉さん、今回は婚姻までいってくれ……! 僕も精いっぱい協力するからね!)

 カナディアンマンの義弟になるために。あわよくばカナディアンマンの子どもの叔父になるために。そして、いつか訪れるカナディアンマンを看取る日のために。スペシャルマンは自らの願望を必ず叶えようと固く決意するのだった。
 カナディアンマンと姉の間に愛があれば、丸太を抱えた人間がジムを襲撃しに来てもきっと……。


コミックシティ関西30 マッスル大祭 2025.01.12
公開日:2025.03.13